奈良漬ができるまで
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奈良漬の歴史
History of NARADUKE
現在判明している奈良漬の最古の記録は、奈良市二条大路のデパート建設現場で昭和63年に発掘調査された「長屋王邸跡(およそ1300年前の奈良時代)」から出土した木簡に 『進物加須津毛瓜……(たてまつりものかすづけものうり)』とあったことです。 この中の「津」は、ひたひたの状態を表し、ドブロクの上澄みを酒として飲み、 下に溜まったドロドロした中に塩漬野菜を漬けたものが保存食、香の物として珍重されていたようです。
延長5年(927年)に撰進された『延喜式』は、平安初期の宮中儀式や制度などが漢文で書かれており、 「粕漬(かすづけ)瓜九斗」「粕漬冬瓜(かすづけとうがん)一石、粕茄子(なす)等」などの記述がみられます。 当然米で作ったお酒自身貴重なものであったため、 この「粕漬」(かすづけ)は上流階級での食べ物であったと考えられます。
延喜式(全50巻)
=平安中期の律令の施行細則=
905年(延喜5)藤原時平らが醍醐天皇の命により編纂を始め、時平の死後藤原忠平らにより927年完成(施行は967年)。弘仁式・貞観式を踏まえて編まれたもので、のちの律令政治の基本法となった。
大辞林第二版より
清酒発祥と奈良漬
Origin of sake and NARADUKE
奈良市南東に位置する、平安時代正暦3年(992年)創建の「菩提山 正暦寺」で室町時代に清酒造りが始まり、それ以降澄んだ酒の「清酒」と「酒粕」に分かれ、その酒粕の中に塩漬野菜を漬け込んだ漬物が現在の奈良漬の基本的な形となりました。
奈良漬が商品として売りに出されたのは江戸時代末期であり、弊舗 森奈良漬店は東大寺境内で明治2年(1869年)開業致しました。
正 暦 寺 http://shoryakuji.jp/
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JR・近鉄「奈良駅」から米谷町行きバス「柳茶屋」下車、徒歩30分
秋は紅葉が美しく、「錦の里」と呼ばれています
奈良漬の名称
Name of NARADUKE
「ナラヅケ」の呼称は明応元年(1492年)の「山科家礼記」に登場し、 次に山科言継(やましなときつぐ)の日記である 「言継卿記(ときつぐきょうき)」にも「奈良つけかうの物一鉢」と書かれ奈良名産として有名になっていきました。
最初に商品として奈良漬を作ったのは、慶長年間の奈良・中筋町の医者・糸屋宗仙で、白瓜を酒粕に漬けて奈良漬を製造したといわれております。
奈良漬のべっこう色
Amber color of NARADUKE
奈良漬のべっこう色の正体は「メラノイジン」というアミノ酸と糖質が結合してできる褐色の物質です。長期間の発酵・熟成行程があるお味噌、お醤油、奈良漬などは、この反応の過程(メイラード反応)でメラノイジンという物質が生成されます。
近年の研究によって明らかになった、メラノイジン。優れた抗酸化作用を持ち、脂質の酸化を防いで動脈硬化の予防、腸内環境も整えてくれるという優秀な物質です。
遥か昔の人々は、科学的な根拠や理由はともかく、日々の暮らしの中で色々なことを発見し、それが知恵となり現代に伝えられています。